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仙台高等裁判所秋田支部 昭和29年(ネ)80号 判決

控訴人(被告) 秋田県知事

被控訴人(原告) 黒政政一

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人において(一)訴外小松善蔵の小作料滞納には宥恕すべき事由がある。当時同訴外人の生活が窮乏していたことや同訴外人が三回にわたり小作料の受領方を懇願している事実などにかんがみると、いわゆる宥恕すべき事由あることが明白である。(二)同訴外人の生産力が被控訴人のそれに比し劣つていることは控訴人においても認めるが、生産力の優劣は、経済力に左右されることが多く、畜力等を持たない耕作反別六反歩余の同訴外人が居町の標準耕作反別を遥に超える二町歩以上を耕作する被控訴人に比較して、同等の努力をしても同量の収穫をあげ得ないことは当然であり、また同訴外人が右六反歩余の収穫だけで一家七人の生活を維持することができないため、日雇その他の副業に従事し農業のみに精進できないのは当然であつて、これをもつて直に惰農となし本件解約の理由とすることはできない。そもそも農地調整法乃至農地法が農地の賃貸借に関し、当事者の自由に委せず、国家権力を以て之に干渉する所以は、弱者である小作人の地位の安定を図りよつて農業生産力を増進せしむるに在るから、解約の許否は解約によつて小作人の生活に影響があるかどうかに重点を置かなければならないことは当然である。本件の場合同訴外人の耕作田地六反三畝四歩から、本件田地一反四畝五歩を返還すれば、四反八畝二十九歩となり、益々零細農となつて農業経営が困難となることは明らかであり、一時的生産力減退の事実をもつて本件解約許可の理由とすることは、農地関係法規の精神に反する。特に同訴外人の家庭状況は本件不許可処分当時十八歳、十四歳、十一歳の三人の男児あり近く稼働力も増して経済力も生産力も強化される見通しがあるので、従前の生産力低下の事実をもつて小作地を返還せしめることは相当でない。(三)本件合意解約は同訴外人の自由な意思決定によつて成立したものではない。仮に右合意解約の成立について被控訴人の欺罔強要などがなかつたとしても、之を許可しなければならない理由はない。経済的弱者であり、且一般的に智能の低い小作農民が生活の苦しさから将来を顧慮する遑も無く目前の誘惑に負けて自ら解約を申込み或は地主の解約申込を承諾した場合、換言すれば、転業若くは減反計画等があつて冷静な判断の下に小作権を抛棄したものと認められない場合、そして解約を後悔し小作権の維持を希望する場合は、合意解約が成立してもこれを許可しないのが相当である。本件に於て小松善蔵が解約の意思表示をした原因について、仮に被控訴人の強要若しくは欺罔がなかつたものとしても、右善蔵は間もなく解約を後悔し農業委員会にその取消を申込んでおり(乙第一号証の六)一方被控訴人は小作地の取上は、知事の許可を要することを熟知しており、許可申請の手続をしておりながら、その許可がないに拘らず、本件田地を取上げ耕作を開始し農業委員会から注意を受けたに拘らず強引に田植をしたものである。このような事情の下では仮令右の合意解約に民法上の瑕疵がないとしても、解約を許可すべき理由とすることはできない。要之原判決は小作人の地位の安定を保護することよりも、現在の生産力の増強に重きを置いた結果、解約が相当であるとの結論に達したものであるが、近時小作人の経済的窮迫を奇貨とし地主による農地の取上が行われる傾向が著しくなりつゝある今日、この傾向を防止するためにも、右の結論は排斥さるべきである。(四)被控訴人主張の小作料の支払時期はこれを認めると述べ、被控訴代理人において本件田地の小作料の支払時期は毎年十二月二十日と約定したものであると述べた外原判決摘示事実のとおりであるからこれを引用する。(証拠省略)

理由

被控訴人がその所有に属する別紙目録記載の田地(以下本件田地と略称する)を訴外小松善蔵に対しその先代当時(昭和十四年頃)から賃貸していたこと。同訴外人が本件田地の昭和二十四年、同二十五年分の小作料を滞納したこと。被控訴人は昭和二十七年四月十九日頃同訴外人に対し昭和二十六年の三ケ年分の小作料を免除し、離作料として玄米四斗入二俵及び現金一千円を交付しその頃右田地の引渡を受けたこと。被控訴人が昭和二十七年四月三十日控訴人に対し右賃貸借解約許可の申請をなしたところ、控訴人は同年六月十八日付秋田県指令第九百五十八号をもつて不許可の処分をなしその決定書が同年同月二十一日被控訴人に送達されたこと、その間沼館町農業委員会から知事の許可あるまで耕作しないよう警告されたのに拘らず被控訴人は右の許可のないまゝに本件田地の施肥、耕起、植付、二番除草などをなしたことは当事者間に争のないところである。

つぎに成立に争のない甲第三号証の一、二によると、本件田地全部の小作料額は昭和二十四年度が百二十七円五十銭、昭和二十五、六年度はいずれも六百六十九円三十八銭であつたことを認定し得るのであり、これを左右するに足る証拠はないし、またその小作料の納期が毎年十二月二十日の約定であつたことは当事者間に争のないところである。

而して原審における被控訴人本人訊問の結果によつて真正に成立したものと認め得る甲第一号証、成立に争のない乙第一号証の三(但し青インキで記載した部分を除く)及び原審証人塩田竜治、同黒政政蔵の各証言、原審及び当審における被控訴人本人訊問の結果を綜合すると、訴外小松善蔵は本件田地に対する昭和二十四年から昭和二十六年までの三箇年分の小作料を滞納していたため、(昭和二十四、五年分については当事者間に争がない)同訴外人と被控訴人との間で前記のとおり昭和二十七年四月十九日頃被控訴人が同訴外人に対し右滞納小作料全部を免除する外離作料として玄米四斗入二俵及び現金千円を贈与し同訴外人は右田地を返還して本件の賃貸借を解約する旨の合意が成立したことを認めることができる。尤もこの点につき原審及び当審証人小松善蔵の証言中には、同訴外人において右解約の申出を承諾したものではないように供述している部分があるけれども、これは前顕の甲第一号証以下の証拠と対照すると、たやすく措信できないところであり、その他に右認定を覆すに足る証拠はない。

進んで訴外小松善蔵の右小作料の滞納について、いわゆる宥恕すべき事情があつたかどうかの点について審案するに、成立に争のない乙第一号証の二(但し青インキで記載した部分を除く)原審及び当審証人小松善蔵(一部)原審証人宮川忠雄、同渡辺寅雄、当審証人井上養之助、同奥山滝一、同奥山伊一の各証言を綜合してみると訴外小松善蔵は当時田六反三畝四歩(本件田地を含む、自作田はそのうち一反三畝歩のみ)畑三畝二十歩を耕作していただけであり、その世帯員は昭和二十七年を基準としても同訴外人夫婦と十八歳を頭に十四歳、十一歳の三男、七歳、二歳の二女合計七名であつたが、そのうち妻は病弱のため殆ど農耕に従事せず、僅に長男だけが自ら稼働し或は他家に奉公することができる状態であつたけれどもまだ一人前の報酬を貰う程度には達せず、その他の子女は通学中のものや手のかゝる幼女であつたから殆ど右善蔵一人の労働によつて本件田地を耕作しこれによつて得た収入と同訴外人が農閑期に他に雇はれて得る僅かの報酬によつて右家族七人の生計を維持し子女の教育費、公租公課などを支弁しなければならない状況であつたこと。同訴外人はもと昭和十二年頃応召しその後二回に合計約二年半帰休したことがあるだけで、その余の五、六年間は戦地にあつて辛労をなめ、終戦直後帰還し前叙のとおり病弱の妻と多数の子女(前記の子女のうちには当時まだ生れていなかつたものもある)を抱えて苦しい生活を始めたころ、昭和二十一年には実父が死亡したため相当の出費をなし、妻の病気などのためその生活はますます窮迫し、本件田地の昭和二十二年度、昭和二十三年度の小作料を漸く納付したがその後は生活の苦しさに追はれついに心ならずも昭和二十四年から昭和二十六年まで三年分の小作料合計一千四百六十六円二十六銭を滞納するにいたつたこと。しかしながら同訴外人は常に被控訴人に対し右小作料を何等かの方法によつて納付したいと考へていたので昭和二十五年九月下旬頃被控訴人に対し右小作料支払に代えて労働したい旨を申出で、二、三日間被控訴人方の稲刈を手伝つたけれども被控訴人は同訴外人の懇請を容れず現金をもつて右の賃金約五百六十円を支払い、これを右小作料の支払に充当しなかつたこともあり、また同訴外人は昭和二十七年一月二十三日頃(旧暦昭和二十六年十二月二十七日)被控訴人方に三ケ年分の小作料として現金約二千円を持参し、被控訴人の父政蔵に対し小作料の滞納をわび受領方を懇願したが拒絶され、さらに昭和二十七年二月七日頃(旧暦同年一月十二日)にも再び右政蔵に前同様小作料の受領を願つたが容れられず、「三年間も小作料を滞ると法律上田を取り上げることもできる」と申し向けられ、さらに同年四月十八日(旧暦同年三月二十四日)また被控訴人方に赴き被控訴人及び右政蔵に対し本件田地を継続して小作させてくれるよう懇請したけれども頑として聴容れず、「小作料を三年間も滞納すると田を取り上げることができる。離作料として米と金をやる」などと申し渡されたので、同訴外人は被控訴人等の強硬な態度や言葉などから継続して小作させる意思のないことを看取するとともに、当時小作料の滞納があつても宥恕すべき特別の事情があると農地の賃貸借を解約することはできないことや、小作料の滞納に基く解約にも知事の許可を要することなど農地法の規定の詳細は知らなかつたので、被控訴人等の右の言葉から法律上小作人が三年間小作料を滞納すると事情の如何を問はず賃貸人は賃貸借を解約することができるものであり、右解約には知事の許可などは必要ないものと思い、自分は三ケ年分の小作料を滞納しているから本件田地を取上げ(賃貸借の解約を指す)られても致しかたないものと諦め、他方どうせ本件田地を取上げられるならば、いくらでも離作料を入手し苦しい生活の急場を凌いだ方が利益だと考えついに、被控訴人の解約申込を承諾し、被控訴人の作成した甲第一号証(契約書)乙第一号証の三(離作承諾書)などに捺印したものであり、同訴外人から自発的に右解約の申出をなし、或は離作料の要求をなしたものではないこと。被控訴人からは同訴外人に対し右昭和二十四年から昭和二十七年までの間小作料の請求はなかつたこと。また同訴外人はラジオ商の手伝や日雇などをなしているが、これは農閑期を利用してなすのみであり、必ずしも農業経営に不熱心なのではなく、禁酒したりその他生活の再建に努力していることを肯認することができる。

原審証人塩田竜治、同黒政政蔵、同黒政キミ、原審及び当審証人小松田倉吉の各証言、原審及び当審における被控訴人本人訊問の結果には右認定に反する部分があるけれども、これは前段の認定に供した各証拠との対照上たやすく措信できないところであり、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

而して右のように訴外小松善蔵が病弱の妻と多数の子女を抱えながら僅かに六反歩余の田を耕作し或は日雇などをなして得る収入で漸く一家の糊口を凌いでいたため、被控訴人から督促のないまゝに前記のように小作料を滞納したとしても、その生活が前叙のとおり著しく窮迫していたこと前記小作料の金額が右のような生活状態と対照すると必ずしも支払容易なりとも称し難いことや被控訴人に対し数回にわたり滞納小作料の受納方を願い或は労働賃金との差引きを懇請したことのある事情をあわせ考えると、同訴外人の右小作料の滞納には、いわゆる宥恕すべき事情があつたものとなさざるを得ないのである。

つぎに被控訴人は同訴外人が惰農で農事に精励しないのに、被控訴人は精農であるからこれに本件田地を耕作せしめるのが相当であると主張するのでこの点について案ずるに、一方被控訴人が精農で多量の収穫をあげており、また稼働力も豊富であつて、本件田地の存する秋田県雄勝郡沼館町における農家一戸あたりの平均耕作面積は一町二、三反歩であるのに、これをはるかに超え約二町一反歩余を耕作し余祐ある生活を営んでいることは原審における被控訴人本人訊問の結果並びに弁論の全趣旨によつて認め得るところであるが、他方同訴外人は精農とは称し難いがいわゆる惰農ではなく、本件田地の生産力も他に比較し著しく劣るものではないことは(同訴外人の生産力が被控訴人のそれに比し劣ることは控訴人が認めるところである)当審証人奥山滝一、同奥山伊一の各証言によつて明らかで右認定に反する原審証人塩田竜治、原審及び当審証人小松田倉吉の各証言は前段の認定に供した各証拠との対照上措信できないところであるし、また同訴外人の耕作面積は本件田地を含めて田地約六反三畝歩であるから、これから本件田地を被控訴人に返還するとその残余は約四反八畝二十九歩にすぎないのでいわゆる五反百姓にも及ばない零細農家となり、その農業経営は成り立たず、生活の安定は望みなきにいたること。同訴外人方においては将来は長男二男などが成長しその稼働力は増加する見込が充分あることは前段に認定したところと吾人の経験則に照らして明らかである。

而して当時施行されていた農地調整法の基本的目的は単に農業生産力の維持増進のみにあるのではなくて、むしろ耕作者の地位の安定を図り併せて農業生産力の維持増進を企図するにあり、この基本的精神から農地の移動を制限し農地の賃貸借の解約を規制する規定を設けたものであることは、同法第一条その他の規定によつて明らかである。

そこで右のような農地調整法の立法精神にかんがみるときは、現在は被控訴人をして本件田地を耕作せしめるのが、同訴外人をして耕作せしめるよりも多少本件田地の生産力を増大し得るとしても、他方被控訴人はこの田地がなくとも既に充分生活の安定を得ているのに反し、同訴外人は本件田地を失うとその生活の安定は著しく害せられる虞があり、将来は同訴外人の生活が再建され、子女の生長によつて稼働力が増加し本件田地の生産力を増大し得る見込がある点からみて、被控訴人をして本件田地を自作させるのを相当とするとなし得ないのみでなく、却つて同訴外人をして該田地を耕作せしめるのが農地調整法の基本精神に合するものとなさざるを得ない。

しからば、前叙のように被控訴人は精農であるのに同訴外人は精農とは称し難く、三ケ年分の小作料を滞納したことがあり、また被控訴人と賃借人である同訴外人との間に本件田地の賃貸借解約の合意が成立し被控訴人において右田地の引渡を受けて耕起、施肥、植付除草などをなし、同訴外人に対し右滞納小作料を免除し前記の離作料を交付したとしても、同訴外人はいわゆる惰農ではなく、本件田地からも普通の収穫はあげており将来は本件田地の生産力を増大し得る見込があるし、右小作料三ケ年分の滞納にも宥恕すべき事情があり、さらに右解約をなすにいたつた経緯が前に認定したとおり被控訴人からの強硬な申出によりいやいやながら応じたもので同訴外人から申出たものではなく、しかも同訴外人が被控訴人の解約申込を承諾したのも主として同訴外人の法の不知と被控訴人等の強硬な態度から継続して小作し得る見込のないものと諦めたことに基くのであり離作料も被控訴人の申入を同訴外人において受入れたもので自ら要求したものではないことは既に説明したところであり、また被控訴人が本件田地の耕起、施肥、植付、除草などをなしたのは、前叙のとおり前記沼館町農業委員会の警告を無視してなしたものであるのみでなく、右の管理行為は昭和二十七年度のみのことであり、(この点は後記証人小松善蔵の証言によつて明らかである)しかもこの事実あるが故に本件田地の解約を許可すべきものとはなし難いところであり、さらに同訴外人は右解約の成立後間もなく右沼館町農業委員会の係員から小作料滞納の場合にも事情により賃貸人が一方的に解約し得ない場合があり、また小作料滞納などによる合意解約の場合にも知事の許可を要することを聞き、同委員会に書面をもつて小作関係を継続し得るよう配慮方を願い出で前記滞納小作料を供託し離作料として交付を受けた玄米二俵、現金千円を同委員会に寄託していることは、成立に争のない甲第二号証、原審及び当審における証人小松善蔵の証言によつて明白であるから、これら各般の事情を総合すると、被控訴人が同訴外人との間になした本件田地賃貸借の解約は農地調整法の基本精神たる耕作者の地位安定の要請に副はないものとなさざるを得ない。よつて控訴人が被控訴人のなした本件解約の許可申請に対し不許可の決定をなしたのは、まことに相当であつて何等これをもつて違法となすべき理由はない。

右と異り被控訴人の本訴請求を認容し控訴人のなした右不許可の処分を違法として取消した原判決は失当であるからこれを取消し、被控訴人の本訴請求を棄却すべきである。

すなわち民事訴訟法第三百八十六条、第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浜辺信義 岡本二郎 兼築義春)

(目録省略)

原審判決の主文および事実

主文

被告が昭和二十七年六月十八日付秋田県指令農地第九五八号を以てなした原告及び訴外小松善蔵間の別紙目録記載の農地に係る賃貸借契約の解約不許可処分はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として原告はその所有の別紙目録記載の田地(以下本件田地と略称する。)を訴外小松善蔵に対しその先代当時(昭和十四年以降)より賃貸していたが右善蔵の代になるや同人は農事に精励せず、昭和二十四年度以降の小作料を滞納し昭和二十七年四月ごろ本件田地の返還を申出たので、同年四月十九日原告は同訴外人と協議の上滞納小作料を免除した上離作料として米二俵及び金千円を贈与し賃貸借契約の合意解約をなし、該田地の引渡を受けた。

よつて原告は同年四月三十日被告に対し右の賃貸借契約解約の許可申請をなした。

そして沼館町農業委員会から知事の許可ある迄は耕作できない旨の注意はあつたけれども右小松善蔵は右の如く真意で返還したので耕作しようとしないので、荒田となるを恐れ原告が施肥、耕起、代掻き、二番除草等も済ました。ところが被告は同年六月十八日付秋田県指令第九五八号を以て右申請に対し不許可処分をなし右決定書は同年六月二十一日原告に到達した。

しかし右処分は前述の如く訴外小松善蔵が三ケ年も小作料を滞納するほど賃借人として信義に背く行為であつたこと、同訴外人が農事に精励しない惰農であること、原告と同訴外人との間に滞納小作料の免除離作料の交付により真実円満に合意解約をなし田地の引渡を受け原告が、耕起、代掻き、施肥、植付、二番除草等をなしたことを無視したもので、もとより違法のものである。

よつて原告は被告に対し右不許可処分の取消を求めるため本訴に及んだと述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は「原告の請求はこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め答弁として、

原告の請求原因事実中別紙目録記載の農地が原告所有のもので原告がこれを訴外小松善蔵に対しその先代当時より賃貸してきたこと、右小松が昭和二十四、五年度の小作料を滞納したこと、原告と訴外小松善蔵間に原告は昭和二十四年度以降三ケ年分の小作料を免除し同訴外人に離作料として玄米二俵と現金壱千円を交付して合意解約をし(但し解約の日は昭和二十七年四月十九日)右農地を原告に返還したこと、沼館町農業委員会が原告に県知事の解約許可あるまで耕作しないように注意したが、原告は許可を待たずに右農地につき施肥、耕起、代掻き、植付、二番除草等をなしたこと並びに原告が同月三十日被告に右の解約許可申請をし、これに対し被告が同年六月十八日付秋田県指令第九五八号を以て不許可処分をなし右決定書が同月二十一日原告に送達されたことはいずれもこれを認めるが、その余の事実は次の様に争う。

前記合意解約は次の如き事情のもとに訴外小松善蔵の法の不知に乗じて原告の要求に基きなされたもので同訴外人の発意に出たものではない。

即ち訴外小松善蔵は終戦まで長らく応召して居り、昭和二十一年には父三七郎に死なれ、家族七人であるが妻は病弱なるに加えて幼児四人を抱えているので、家計困難であつたため昭和二十四、五年度の小作料は請求されないのに甘えて未納して居たが昭和二十七年一月二十三日(旧暦昭和二十六年十二月二十七日)前記二ケ年分の未納小作料と二十六年度分を併せ原告方に持参したところ原告は不在であつたが原告の父母政蔵とナホに三ケ年の小作料滞納は賃貸借の解約事由になるから昭和二十七年度からは原告方で耕作するとて小作料の受領を拒絶され、次いで、同年二月七日(旧暦同年一月十二日)原告宅へ再度延滞小作料を持参したが、原告からも亦同様の理由で受領を拒絶された。

次いで同年四月十八日(旧暦三月二十四日)原告方を訪ね小作継続方を懇願したが、原告は前記理由を繰返すばかりなので、法規を知らない訴外小松善蔵は原告の言をそのまま信じ無償で返還するよりは幾分でも離作料を貰つた方が暮しの助けになると思い原告主張の条件で止むなく解約に同意したものであつて、もとより自ら進んで解約を申出たものではない。

しかして訴外小松善蔵が前示事情の下に右の如く小作料を滞納したのは同訴外人に宥恕すべき事情ありというべく、他に右訴外人には信義に反する行為はない。

のみならず同訴外人は家族七人で耕作人員は夫婦と長男の三人であるのに耕作面積は前示農地を含めて僅かに田地六反三畝四歩しかなく前示農地を返還することにより益々零細農家となり生活に支障を来すこと明かであつて何等原告の自作を相当とする理由はない。

故に被告のなした前示不許可処分は適法であつて原告の請求は理由がないと述べ、尚訴外小松は右の如く合意解約はしたが家計を維持できないところから何とかして小作を継続したいと考え、沼館町農業委員会に前示経過と小作継続の方法につき照会したところ前示事情の下では小作料の滞納が賃貸借解約の事由とはならないこと及び知事の許可がなければ解約の効力は生じないこと等を始めて知つたので、同訴外人は一面同年五月十七日同委員会に離作取止め方の願書を出し他面離作料として受領した前示玄米二俵と金壱千円を返還のため農業委員会に保管を託し、三ケ年分の小作料は沼館町役場に預け不許可処分の後である同年六月二十一日原告に提供したが、受領を拒絶せられたものであると附陳した。(立証省略)(昭和二九年四月一二日秋田地方裁判所民事第一部判決)

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